PARAGUAY INSIGHT · ISSUE 014

BDP

小さな商売から、再建と統合へ

Pulp × Pepsi × CCU × Grupo Vierci

2026年10月14日出典確認 · 全8章

表紙:編集用イメージ。実際のBDP工場の記録写真ではありません。
PLACES BEHIND THE BUSINESS

企業史を、風景から読む。

街角の薬局、醸造所、企業の拠点。本文に登場するPepsiとCCUの背景を、3枚の実写写真でたどります。

青いPepsi-Colaのひさしがある、赤れんがのBradham’s PharmacyNEW BERN, USA · 2023
薬局から始まったブランド

Pepsi発祥の地として知られるBradham’s Pharmacy。米国ノースカロライナ州ニューバーン、2023年4月29日撮影。

Indy beetle · Wikimedia Commons · CC0 1.0 · 表示枠に合わせてトリミング
チリ・リマチェに残る旧CCU醸造所の外観LIMACHE, CHILE · 2015
製造の歴史を伝える建物

チリ・リマチェの旧CCU醸造所。2015年12月16日撮影。パラグアイのBDP工場や、1850年創業時の建物を写した写真ではありません。

A. Ulloa / Servanda Olivares Meneses; Carlos yo · Wikimedia Commons · CC BY-SA 2.0 · 表示枠に合わせてトリミング
ガラス張りの外壁にCCUのロゴがあるサンティアゴの本社ビルSANTIAGO, CHILE · 2018
国境を越える企業の広がり

チリ・サンティアゴ、ビタクラ通りのCCU本社ビル。2018年10月29日撮影。2024〜26年の統合前の写真です。

Rodrigo Fernández · Wikimedia Commons · CC BY-SA 4.0 · 表示枠に合わせてトリミング

編集長ノート|成功の理由だけでなく「判断が変わった瞬間」を読む

「成功した企業の創業者は最初から正しい答えを知っていた」と考えると、企業研究は読者の役に立たない。1937年の小さな酒類店から生まれたPulpは、販路が弱まった時期を経験し、1989年に事業が引き継がれ、2001年の再建時には一部地域の約400拠点でしか売られていなかった。一方、Grupo A.J. Vierciの出発点も、大工場ではなく、国産品・輸入品を流通させる仕事だった。[H01][H02][H06][H09]

両者が現在の飲料・食品事業に至るまでには、商品の開発だけでなく、買収、経営再建、販売網、国際ライセンス、輸出方法の変更、競争法審査、資本参加といったいくつもの判断があった。米国でPulpを売ろうとしたときには、完成品輸出では運賃が合わず、現地製造へ計画を変更した。ここには「失敗してから学んだ」話だけでなく、「失敗を避けるため計画を変えた」話もある。[H04][H05]

Issue 014では、各事業の出発点をたどり、Pulpの苦境と再建を中心に現在へつなぎ、経営者本人や当時の責任者が記録した発言を引用元とともに示す。直接証言が得られない箇所は歴史資料を使い、編集部の推論は事実と分ける。すべての章の最後に、読者が自分の会社で考えるための問いを置いた。成功の方程式ではなく、意思決定の勉強にするためだ。

読者が追う経営年表

この年表はPulp・BDPを主軸にしたもの。Pepsiの米国起源、CCUのチリ起源、Vierciの流通事業は、それぞれ別の源流として本文で描く。

1937 PulpにつながるLicorería Acosta創業[H01] → 1938 商品Pulpの登場[H01] → 1967 Grupo Vierci創業[H06] → 1989 Pulp事業譲渡[H09] → 2001 BDPの再建開始/Pulp販売約400拠点[H02] → 2004 ジュースと水への拡張[H01] → 2006/2007 San Antonio工場の開所/操業に関する異なる記録[H01][S08] → 2012 Planet Pulpの米国現地製造[H04] → 2013 CCU資本提携[H01] → 2024–2026 BDPとAV S.A.の統合取引と運営統合の発表[S01][S04][S07]

01

1937年の酒類店、1938年の商品Pulp

「誰の、どんな不便を解決したか」が、最初の商品を形づくる。

最初の仕事は、街の酒類店だった

1937年のアスンシオン中心部。今日のPulpにつながる事業の原点は、Máximo Acosta Colmánが開いたLicorería Acostaという小さな酒類販売店だった。現行のBDP公式社史では、店が誕生した年を1937年、パラグアイの人々の生活にPulpが現れた年を1938年と分けている。ABC Colorの2012年の沿革紹介は、息子Javier Acostaが事業を継続したと記す。工場や大規模な販売会社から始まったわけではない。[H01][H09]

なぜ果実の飲料だったのか――地域の材料を商品価値に変える

Pulpは果汁と果肉という、消費者が味わいやすい特長を持つ炭酸飲料として市場に現れた。1930年代の戦後間もないパラグアイにおいて、輸入ブランドの名前ではなく、身近な果実から生まれた製品は独自の位置を築く可能性があった。ただし「創業者が民族ブランドを作ると宣言した」という本人の言葉は確認できていない。編集部の分析として言えるのは、地元にある原料の特性が、消費者に説明できる差別化につながったということだ。[H01][H09]

[編集部分析]小さな事業で試せること

地域の需要を知る商店では、消費者の反応を店頭で聞きながら商品の味や容器を変えられる。大量生産のコスト優位はまだなくても、製品の「何が違うのか」を明確にすることはできる。Pulpについて実際に店頭で味や容器を調整した記録は未確認だ。果汁という特長は公式社史にも記される。一方で、その味の良さだけで企業の競争力が何十年も保たれたわけではない。このことが次章の苦境につながる。[H01]

読者が創業で考えるべきこと

資本が潤沢になるまで待つより、最初の販売先が誰で、既存のどの商品と何が違い、なぜ繰り返し買われるかを小さく確認する。顧客の反応を記録する、材料費と販売価格を分ける、代金回収まで含めて一商品を成立させる。Pulp史の第一の教訓は、ブランドの大きさではなく、顧客が理解できる違いを作ったという点にある。これは編集部による経営上の解釈であり、創業者の直接証言ではない。

経営上の学び[編集部分析]: 資本金や工場の大きさよりも先に、「なぜその商品を買うのか」という顧客の理由を作る。

自社に置き換えて考える

  • 自分の商品が他社と違う点を、10秒で説明できるか。
  • 最初の10人・10店舗が繰り返し購入した理由は何か。
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02

販路の苦境――1989年の事業譲渡と2001年の再建

歴史あるブランドでも、生産と販路が衰えれば生き残れない。

[歴史資料]人気ブランドにも苦しい時代があった

Pulpの沿革には、創業から2001年までが一直線の成功だったわけではないことが残っている。1989年に事業は別の国内企業家グループへ渡り、当時の報道ではEmpronaによる取得が説明されている。経営上どの損失が最終的な譲渡の直接原因となったかについて、監査資料や創業家の詳しい一次証言は本誌では確保できていない。そのため「破産した」と断定しない。1989年の譲渡は2012年のABC Colorの沿革欄で確認できる。経営難の詳しい原因は未確認であり、事業譲渡それ自体を失敗の証明とは扱わない。[H09]

[当時の経営陣の回顧]2001年――ブランドは残っても、販路が限られていた

2012年8月、Bebidas del Paraguayの当時のゼネラルマネージャーFrancisco Barriocanalは経営者向けの講演で、2001年に同ブランドを引き継いだ際の状況を説明した。2012年8月30日付Última Horaによる彼の説明では、Pulpのイメージは弱まり、流通はアスンシオンの一部地域の約400販売拠点に限られていた。Grupo Cartesは2000年10月ごろから取得交渉を進め、2001年に同ブランドを取得した。BDPという会社の創業は、1937年の酒類店の創業や1938年の商品登場とは分けて、この2001年の再建事業に位置づけられる。[H02][H01]

[当時の経営陣の回顧]何を買収したのか――人々の記憶に残るブランド

当時の経営陣が購入を検討した理由として説明したのは、人々の記憶に残る既存の炭酸飲料ブランドを得ることだった。これは新しい商品名をゼロから浸透させるのとは違う戦略だ。ただし、過去の知名度が残っていても、実際に店頭に商品がないなら販売にはつながらない。Barriocanalの回顧は、既存の知名度を評価して取得し、ブランドイメージや基準の改善に着手した経緯を示す。[H02]

[編集部分析]その記憶を売上へ戻すには、品質・製造・納品・広告・品揃えを一緒に点検する必要がある。これは再建の評価軸であり、各施策の効果を実証した説明ではない。

失敗からの学びは「敗因探し」だけではない

古い会社が競争に敗れた理由を一つに決めつけるのは危険だ。価格、コスト、流通力、資金調達、経営判断、競合の宣伝力は複合する。確認できた事実は、1989年の事業譲渡、2001年の限定的な販路、経営幹部によるブランドイメージの疲弊に関する回顧である。そこから読者が得られる教訓は、商品が良くても、売り場、納品能力、運転資金が保たれなければブランドは弱る、という仮説を自社の数字で検証することだ。

経営上の学び[編集部分析]: 「知られている商品」と「今も買える商品」は違う。販売網と再購入を失えば歴史は守ってくれない。

自社に置き換えて考える

  • 売れない原因は商品力・価格・販路・回収のどこにあるか。
  • 一度傷んだブランドを再建するなら、最初の90日で何を直すか。
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続きでは、流通・国際ブランド・統合を読み解きます

  1. 1967年、Vierciは商品流通から始めた
  2. Pepsiの二つの出発点――薬局の商品と、パラグアイへの再参入
  3. CCUの源流――醸造所を束ねる前に、製造と輸送の仕事があった
  4. 市場にフィットするまで――商品拡張・新工場・米国での方向転換
  5. 2024〜26年の企業統合――強い会社は何を組み合わせたのか
  6. 次の失敗をどう防ぐか――未来戦略を「仮説」として設計する

出典と調査範囲

2026年10月14日確認。企業公式資料、当局資料、発言者を特定した当時の報道、歴史資料を参照しています。経営上の学びと将来戦略は編集部分析です。

  1. H01 BDP公式:Nuestra historia|Pulpの創業から事業統合まで ↗
  2. H02 Última Hora:Pulp経営陣による2012年の回顧 ↗
  3. H04 ABC Color:2012年の米国進出の事業判断 ↗
  4. H05 ABC Color:2012年のPlanet Pulp生産開始 ↗
  5. H06 Forbes Paraguay:Grupo Vierci創業59年(2026年) ↗
  6. H08 CCU公式:1850年の工場から1902年の企業統合へ ↗
  7. H09 ABC Color:1989年のPulp事業譲渡と2001年再出発 ↗
  8. H10 BDP公式:2026年1月のAV S.A.統合発表 ↗
  9. H11 PepsiCo公式社史(2026-09-17) ↗
  10. H12 Última Hora(2011-11-24)/Ignacio Vierciの販売再開時の説明 ↗
  11. H13 ABC Color(2012-05-21)/生産開始、正式開所、Antonio J. Vierci本人の投資発言 ↗
  12. S01 BDP - Unimos fuerzas para seguir creciendo con Paraguay(2026-01-16) ↗
  13. S02 CONACOM - Concentración CC N°78 (comunicado)(2025-08-21) ↗
  14. S04 CONACOM - Inicio del expediente CC N°78(2024-12-02) ↗
  15. S07 CCU - 2026年6月末連結中間財務資料(公式スペイン語版/注記1.B、1.C、印刷ページ14–18) ↗
  16. S08 BDP - Nuestras plantas(2026-10-14確認) ↗
  17. S10 BDP - FSSC 22000(2026-02-26) ↗
  18. S11 BDP - Agua La Fuente y economía circular(2026-10-01) ↗
  19. S15 CONACOM · Catálogo · Resolución D/AL 66/2025 · 17/07/2025 ↗
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